週末に、2021年に放送された全10話の恋愛ドラマ『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール』を見終わった。このドラマは、20歳にもなっていないヤンキー少年と、視覚障害のある女の子の恋愛ストーリー。見ているうちに、なんか不思議と共感してしまった。日本に来て3年目の自分も、彼らと同じ“社会の端っこ”にいる人間だからかもしれない。ヤンキー君は顔に傷があって、世間の偏見もあって仕事がなかなか見つからない。視覚障害の女の子も、仕事を探すのに苦労している。自分は仕事こそ見つかったけど、言葉の壁があって、周りの人が何を考えてるのか、微妙なニュアンスや空気感を完全には掴めてない。結局、みんなと同じように“空気が読めない”側の人間なんだなって思った。 あと、このドラマ、全然違和感なく見れた。たとえば、ヒロインは目が不自由なのに、毎日ニコニコしてて、周りの人も彼女をバカにしたりしない。もしこれが中国のドラマだったら、ちょっと違和感あったかも。だって、中国に何十年もいたけど、一人で出歩いてる盲人をほぼ見たことなかった。でも今、日本で毎日行ってるAEONのスーパーでは、車椅子に乗ったキレイな女の子をよく見かける。しかも、いつもニコニコしてる。だから、このドラマのヒロインみたいな人も、現実にちゃんといるんだろうなって思えた。 最後に、ふと自分と登場人物の年齢差を考えた。やっぱり、年を取るといつの間にか純粋に恋愛を信じる気持ちがなくなっていくなって。若い頃って、ただ出会うだけで気持ちがぶつかって、そこから恋愛に発展することが多かった。でも、年を重ねるにつれて、恋愛には現実的な要素がどんどん増えていく。ふと考えた。「今、もうすぐ40歳になろうとしてる自分に、20年前みたいに"運命の人"を信じることができるのか?」って。
片刻分类: 映画


20年前の高評価映画「誰も知らない」を観た感想。 日本に来てまだ2年ちょっとだけど、日本人に一言でラベルをつけるなら、「体面」かなと思う。たとえ服がちょっとだらしなくても、基本的な礼儀はしっかり守るし、生活が厳しくても、心の平和を保って、周りに怒りをぶつけたりしない。日本人がお互いのプライバシーを尊重する人間関係は、中国人から見るとたまに冷たく感じることもあるけど。論理的におかしいこととか、常識外れなことがない限り、日本人を怒らせるのは難しい気がする。これが、「嘘ばかりの国」から来た僕が日本を好きな理由の一つかな。 もう一つのラベルを付けるとすれば、「静か」かな。映画の中の子供たちを見て、すごいなと思う。何も持っていないのに、不満を言ったり、恨んだりしないんだ。食べ物も飲み物もない環境の中で、静かに成長していく。シンプルなおもちゃで喜ぶし、タンポポを追いかけて大笑いする。友達も作りやすくて、嫌いなことでも友達のためにする。友達を失っても、自分から関係を修復しようとする。何も持ってないけど、実はすごく大切なものを持っている。大人になった私たちにはもうないものを持っているからだ。あの純粋さや義理、勇気、いつから失ってしまったんだろうね?誰も知らないけど。

7年前の高評価映画「彼女がその名を知らない鳥たち」を観た感想。 主人公の女性、いわゆる「愛人」なんだけど、世間的には愛人って嫌われて、軽蔑される存在だよね。でも、この映画の主人公は、浅はかでありながらも純粋な女の子として描かれているんだ。 彼女が浅はかだなって思うのは、男を外見だけで判断して、だらしない男(主人公)を嫌って、外見がいいイケメンにすぐに惹かれちゃうところ。でも、純粋だなって感じるのは、見た目が良い人は心も優しいって思って、無条件に尽くしちゃうところ。例えば、ダメ男と割り勘したり、彼のために年老いた男と関係を持つくらい。こんな彼女、憎むことできるかな?もしかしたら、これから「愛人」の話をする時、世間の偏見をちょっと置いといて、彼女たちの個人的な気持ちや欲求をもっと理解してから判断するべきなんじゃないかな。 男の主人公については、彼みたいに愛のために自分を犠牲にできるほどの覚悟は正直ないし、彼の気持ちとか欲求は完全には理解できない。でも、彼は不妊だから、自分には愛を持つ権利がないって思って、愛を父性愛に変えちゃったのかもしれない。彼もまた、どこか純粋な理想主義者なんじゃないかな。 再感想:https://aokira.com/12219.html